Liner Notes

『Ukiyo Hotel Bar』で演奏される曲目のご紹介をしていきます。

In The Mood(Joe Garland)
1939年にグレン・ミラー楽団の演奏によりヒットしたことでも知られ、グレン・ミラー楽団の代表曲ともなっている。サクソフォーンによる軽快なテーマのフレーズ、エンディングのトランペットのフレーズなど、全般にわたる華やかな曲調がビッグバンドの代表的な楽曲として知られる、ビッグバンドではお馴染みの楽曲のひとつ。

Lover, Come Back to Me(Sigmund Romberg/Oscar Hammerstein II)
1928年のブロードウェイのオペレッタ/ミュージカル『ニュー・ムーン』のために制作された、スタンダードナンバー。ミルドレッド・ベイリーの得意曲であり、ビリー・ホリデイやナット・キング・コールの録音も有名。歌唱の場合はスロー・テンポが多いが、演奏ではむしろアップ・テンポが優勢である。

 There‘s No Business Like Show Business (Irving Berlin)
1946年のミュージカル『アニーよ銃をとれ』で歌われたナンバー。歌詞の内容は、ショー・ビジネス界の生活の豪華さや興奮に対する、少々皮肉めいた賞賛である。この曲は、1954年の同名映画『ショウほど素敵な商売はない』でも主題歌としてエセル・マーマンによって歌われた。

The Lady is a Tramp(Richard Rodgers/Lorenz Hart)
1937年にミュージカル『青春一座』(Babes in Arms)のために書かれた曲。様々なミュージシャンにカヴァーされ、スタンダードナンバーとして知られている。様々な歌手が各国語でカヴァーしており、日本でも、2004年に東京事変がファーストシングルのカップリングに「その淑女ふしだらにつき」としてカヴァーが収録されている。

L-O-V-E(Bert Kaempfert, Milt Gabler)
1964年、ナット・キング・コールの最後のヒット曲。(翌65年に45歳で逝去)数ある同名異曲の中で、スペルにハイフンが入るのは、この曲だけ。美空ひばりはコールの大ファンとして知られ、1965年9月に発売した追悼アルバム「ナット・キング・コールをしのんで-ひばりジャズを歌う」の中でカヴァーし、「ラヴ」として収録。

Take the ‘A’ Train(William Thomas “Billy” Strayhorn)
1939年にデューク・エリントンが楽団のピアニスト兼作編曲者であったビリー・ストレイホーンに作詞・作曲をオーダーして作られた作品である。1941年にエリントン楽団の演奏でレコードが発売され大ヒットした。以来、エリントン楽団のテーマ曲として広く知られている。エラ・フィッツジェラルドとの競演でも名高い。この曲の題名と歌詞には、「(ジャズを楽しめる)ハーレムに行くなら、速く行ける “A”看板の電車にお乗りなさい」という意味がこめられている。

港が見える丘(作詞・作曲 東辰三)
1947年(昭和22年)、当時新人歌手であった平野愛子が歌った、終戦直後流行歌である。歌詞には具体的な地名は登場せず、この曲の舞台となる「港」がどの港であるかは定かではないが、横浜市にこの歌のタイトルを冠した「港の見える丘公園」があり公園内には歌碑もあることから、横浜の歌として親しまれている。

Hot Honey Rag(John Kander/Fred Ebb)
1975年に初演された、ボブ・フォッシー演出によるブロードウェイ・ミュージカル「シカゴ」の本編ラストを飾る楽曲である。1920年代、禁酒法時代のイリノイ州シカゴを舞台に、実際の犯罪および犯罪者を題材にした演劇『シカゴ』を基にしている。スターを夢見ながらも、事件を起こし刑務所に収容され、争いに巻き込まれる主人公の波乱と、スターダムへと上り詰める様子を描いている。2002年にロブ・マーシャル監督で映画化され、アカデミー作品賞はじめ6部門を受賞している。

I Wanna Be Loved By You(Herbert Stothart, Harry Ruby, Bert Kalmar)
1928年のヘレン・ケインの歌唱で発表された。彼女はその赤ん坊のような喋り方や、歌詞のおまけに付けられたスキャットの歌い方から、「ブブッパドゥ・ガール (Boop-Boop-a-Doop Girl)」として知られるようになった。2年後、ケインをモデルに、ベティ・ブープがカートゥーンのキャラクターとして創作された。また、この曲は、マリリン・モンローの最も有名な歌唱のひとつであり、ビリー・ワイルダー監督作品の古典的喜劇映画『お熱いのがお好き (Some Like It Hot)』にとりあげられた。

ラッパと娘(作詞・作曲 服部良一)
1939年、笠置シズ子が歌ったナンバー。服部良一によってコロムビア専属に迎えられ、笠置に向けて書き下ろされた楽曲である。笠置は1938年、帝国劇場で旗揚げした「松竹樂劇団」(SGD)に参加し、服部と出会う。服部と組んでジャズ歌手として売り出す。その後服部によってコロムビア専属に迎えられ、笠置に向けて書き下ろされた楽曲である。笠置は戦後すぐに『東京ブギウギ』を始めとした、服部との楽曲で「ブギの女王」と呼ばれた。

蘇州夜曲(作詞 西条八十・作曲 服部良一)
1940年(昭和15年)6月公開の伏水修監督の映画「支那の夜」へ向けて作られた楽曲。主演の李香蘭(山口淑子)の歌唱を前提に作られている。映画は上海を舞台に、長谷川一夫扮する日本人貨物船船員・長谷哲夫が李香蘭扮する中国娘・桂蘭を救い、二人の間に恋が芽生えるというストーリー。メロディとサウンドには中国の風土と日本人の情感、そして西洋のクラシックとジャズが溶け合っている。

¿Quién será?(Luis Demetrio)
1953年に発表されたラテン音楽のスタンダードナンバーである。日本語読みは「キエン・セラ」。ルイス・デメトリオが作詞作曲。本曲のヒットは、トリオ・ロス・パンチョスの盤によるところが大きい。英語歌詞の作詞はノーマン・ギンベルで、『Sway』のタイトルでディーン・マーティンが歌い、こちらもヒットした。歌詞なしの演奏もラテンの楽団でよく行われ、また各国の言語でカヴァーされている。

Sing, Sing, Sing (With a Swing)(Louis Prima)
1936年に発表された「スウィンガーの王様」こと歌手・トランペット奏者のルイ・プリマによって書かれた曲で、最初はニューオーリンズ・ギャングによって収録された。ブランズウィック・レコード(英語版)によって1936年に発売された。スウィング・ジャズの代表曲の一つとして知られており、特にフレッチャー・ヘンダーソンが編成を担当したベニー・グッドマン楽団の音源は有名である。