1946年に出来たクリフサイド。
取り壊しが決まっていると、ウキヨホテルプロジェクトの山のような申請書類の作成を手伝ってくれている中区消防の永田さんが言った。そ
れを知ってて21日の『Ukiyo Hotel Bar』を企画したわけじゃないんだけど、なんか、呼ばれたのかな?と思った。
偶にそういうことがある。
クリフサイドは現在、ほぼ稼働していない、知る人ぞ知る存在だ。
ミュージカル『CATS』に登場する劇場猫ガスのような管理人さんがおり、何度打ち合わせを繰り返しても打ち合わせをした内容を忘れてしまうお爺ちゃまなのだが、昔語りは一流で、こちらが水を向ければ色々とお話をしてくれる。
曰く…
クリフサイドは地付産業のシルクスカーフで富を築いた野坂という男が、仕入れ時に触れてきた欧米の大人のためのナイトカルチャーに憧れ、戦後直後の物資不足の時に建てたダンスホールだ。
軍への拠出があったため、鉄骨は一切使用していない、見事な木造建築である。
建築としての白眉はその天井で、当時のモダニズム的意匠と技術の粋を凝らしてあり、建築ファンには必見だ。おそらくこの天井は他ではみることができない。
これが実現したのは、建築家をイタリアに派遣してダンスホールを勉強させてから設計させたという、えらい気合の入っていたからで。
また野坂は、200人の戦争未亡人をクリフサイドの専属ホステスとして雇い、お客がついたら引退させ、伊勢崎町にそれぞれお店を持たせ、送り出したという。
野坂なきあとのクリフサイドは柄の悪い人々に悪用され、現在のように寂れ、人々の記憶から忘れ去られてしまったのだと言う。
こういった嘘か誠か判別しようのない逸話が、打ち合わせでは中々話の噛み合わない管理人さんから、突然立板に水と溢れ出て、その目は光り輝く。
いまは廃墟に限りなく近いこの建築物の、最期の時間をわたしは過ごしているんだなと思うと、まぁ、しっかりやんなきゃな、と思ったりするのだった。
ちなみに『Ukiyo Hotel Bar』ではクリフサイドの話は一切やりません。笑
文責:河田唱子